NPO法人日本トイレ研究所の加藤代表以下15名で、2月23日東京駅を出発して、次の日から2日間現地のトイレ状況の視察に行きました。
それぞれ4グループに分かれて、各避難所に伺いました。
被災地では、輪島が特に悲惨な状況でした。
テレビで見たよりもっとひどく、どうやったらここを復旧できるのか想像もできない状況でした。
特に火災現場では、東日本大震災のときの津波で全てが破壊された町の状況と同じでした。
各避難所を周り、トイレ状況についてお話を聞きました。
地震直後からトイレが使用できなくなり、外で用を足したり、避難所の部屋を男女に分け、そこでバケツや便袋で用を足されていたとのことでした。
その為、胃腸炎やうつ症状になられた方も多く、1ヶ所の避難所では20名の感染症の発症もおこったとのことです。
能登の避難所に震災直後から使えるマンホールトイレや井戸は、1ヶ所も設置されていませんでした。
仮設トイレが運ばれてきたのは、約15日過ぎてからです。
トイレカーも同じく15日過ぎに到着し、やっとトイレは何とかなったようでした。
バキューム車も1日1回は巡回していました。
水道の復旧は2月24日からで発生から55日目です。
しかし浄化槽が壊れていて、水洗トイレはまだ使用されていませんでした。
避難所の女性のリーダーの方にお話をお聞きしましたが、「一番辛かったのはトイレです。」
「次にお風呂に入りたかった。」とおっしゃっていました。
阪神大震災以後、このようなトイレ問題は、繰り返し起きています。
せっかく助かった命をトイレを我慢する事によりエコノミー症候群にかかり、命を落とされる多くの女性がいます。
人口密度の高い地域でこのような災害が起こった場合、下水車が完備し、浄化槽が不要になったため、汚物を処理するバキューム車が災害時に圧倒的に不足しています。
又、便袋では多くの被災者には便袋では対応できなくなり、トイレ問題はさらに深刻な状況に陥ります。
阪神淡路大震災「1995年」以後今回の能登地震まで29年間で5度の大地震がおき短くて5年長くて9年の間隔で震災に見舞われています。
その度にこのトイレ問題が繰り返し起きています。